正直セキララ

日々のこと、創作のこと、自分のこと。正直、率直、素直。

もべありの統合失調症、発症から落ち着くまで

「妄想とは夢を夢だと気づかない状態によく似ている」

 今回はもべありの病気で精神疾患である統合失調症についてです。上の言葉は自分で考えて妄想というものの説明としてわかりやすいかなと思って書きました。もべありの統合失調症の発症から落ち着くまでの事を思いつくままに書いてみたいと思います。

体調悪化から、発症

 事の起こりはもべありがまだ学生だった頃です。もべありは学校での勉強がうまくいっていませんでした。始めは頑張っていましたが、徐々に単位を落とすようになります。授業の内容がわからず、自分で勉強する必要性が出てきましたが、どうも思うようにできません。机に向かっていても勉強が全く手につかず、進まないのでまともに休むこともできないありさまです。家で勉強するのがとにかく苦手で、毎週実験レポートを書くのが苦痛で苦痛で仕方がありませんでした。また、なんとなく一人の力で何とかしたいと思っていて、友達と宿題を一緒にやるとか、先輩から試験の過去問を見せてもらうといった人脈を活用した学校勉強の攻略みたいなことはしてませんでした。友達もいるにはいたのですが、「一緒にいてもあんまり面白くないな」とか思ってしまって徐々に疎遠になっていきました。その後親友が一人できるのですが、やっぱり学校の勉強についてはソロでやっていきたいと思っていました。それでなんとか頑張って、徹夜も沢山して、他の授業は休んで実験の授業一本に絞り何とかその授業の単位だけは取れました。しかしこの頃から体調がおかしくなっていきます。勉強のため、睡眠不足による眠気を抑えなければならず、緊張状態を半ば強引に目をカッと見開くようにして作り出していました。それから疲労が進むと身体に鞭を打つ必要性が増大し、段々と緊張状態が常態化していきました。睡眠不足とストレスが原因と思われる、消えない緊張と収まらない苦痛の始まりです。

 統合失調症の発症の原因はストレスなどが有力らしいのですが、まだ解明されていなかったと思います。もべありはこんな感じの始まりでした。

初めの頃の症状

 緊張の常態化と共にまず足を中心に妙な痒みが出始めました。足、特にすね周辺から始まり、体調の悪化、疲労の蓄積と共に全身に広がっていきました。体中が痒い、でも皮膚の内側が痒く感じます。引っ掻いてみても全く収まりません。すね周辺の痒みは、もはや骨が痒いというような感じです。同じ時期には頭痛もひどかったです。四六時中、寝てる間さえ頭痛が収まりません。いついかなる時もズキズキと痛くて、それは全く収まる気配を見せませんでした。真剣にこのまま一生頭痛が消えないんだろうと思うほどです。また、眼にも眼精疲労と思われる症状が出始めました。眼の奥が痛くてまともにパソコンのモニタやテレビの画面が見れません。ちょっとした明かりでも、特に蛍光灯のような明かりは眩しく感じ、眼が痛みます。この眼の痛みではまともにレポートが書けるわけもなく、次の実験の授業は諦めざるを得ませんでした。症状は身体の痛みのみではなく、20分に一度程、ふと今自分が何をしているのか、またしようとしていたのか分からなくなるようになりました。例えば電車に乗っている最中になんで電車に乗っているのかわからなくなり、携帯を確認してこの日付、曜日のこの時間なら学校へ向かっている最中かな、と確認が必要になるなどです。他にも上手く話せなくなったり、集中しても人の話す内容が頭に入ってこなくなったりしました。人の顔の判別も怪しくなり、情緒も不安定になっていました。ふとしたことで急に傷ついて怒り出すなどです。しかしちゃんと話せなくなっているので、怒ったもベありの話は全く要領を得ません。こうなるとまともな生活が送れなくなります。特に人と会うのは絶望的です。思考力や情報処理能力も驚くほど落ちていました。普通にできることもできず、普通にわかることもわかりません。正常な判断力すらもなくしてしまっていたので、こういう状態でも人と会っていたりしました。おそらくもべありの印象は最悪だったでしょう。しかも、なんでまた人と会わなきゃいけないんだと対象も定まらない、または会う相手に向けて腹を立てていました。そんな色々とひどい状態の中、ついにこれはもうだめだと、なんとか思えたんだと思います。体調の悪い頃の記憶はあまりありません。記憶力も低下していた時期なので、記憶する機能も働いてなかったのでしょう。おそらく全てを諦めて何とか立て直そうという決心をしたはずです。

やっと休む決心、まず人との接触を断つ

 まずは人との距離です。こんな状態でひと様に会うのは自分にとっても相手にとっても得にならない、損ばかりだろうとかろうじて判断し、人との接触を断ちました。携帯も電源オフです。でも気になってたまに電源をつけてしまいますが、迷惑メール以外はそうそう届きません。ここで、もべありは音信不通となり、友達という友達を失いました。それでも会っていた友人はいたのですが、結局交信が途絶えます。今はかろうじて一年に一度くらい会う友人が一人いるくらいです。といってもコロナになってからは会えていません。現在は携帯の電源は入っていますが、この時期からしばらくは携帯をまともに使っていませんでした。メールが来ても、電話が来ても、強く緊張して軽くパニックになってしまいますし、それらを処理できません。頭も動かないので。

休みたいのに、家族の反発

 次は生活です。全てをやめて休もうということです。しかしもべありは家族と実家暮らしだったので、家族の猛反発を受けてしまいます。甘えるな、怠けるな、休むな、そんなことじゃ何もできるようにならない、この先はどうするの、逃げるな、恥ずかしくないのか、辛いのはみんな同じ、みんな我慢してる、わがままを言うな、よくは覚えていませんがこんな感じだったと思います。未来への不安はもべありも強く持っていましたので、痛いところを突かれ、しかしどうしようもない現実は目の前に体調として現れています。疲れや痛みで何もできないのです。通常の思考力や処理能力も落ちているので、家族に何を言われても頭が働かず、まともに言葉を返せませんでした。状況は文字通り痛いほどわかっているのですが、頭は痛むばかりで動きません。仕方がないので強引に休むことにしました。何を言われても、されても、とにかく部屋に引きこもって休む以外何もできることはありません。いわゆるニート生活が始まるわけですが、痛みなどの症状を引きずったままです。気分転換にパソコンをつけたり、テレビを見ようとしたりするのですが、疲れやすくなっていますし、眼も頭もまだ痛むのですぐに消さなくてはなりません。できることはあまりありませんでした。

休みの転機、病院へ

 休み始めても、回復はなかなか進みません。大してできることのないニート生活を続けていたもべありの所へ両親がやってきて、あまり話せないもべありとの話し合いの結果、病院へ行こうということになりました。正常ではないもべありは病院にも疑ってかかっていましたが、こうなったらとにかく今の痛みや痒みといった症状をお医者先生に伝えてみようと決心しました。家族の方の思惑はというと、病院でどこも異常がないことをしっかり確かめて、お医者先生にももべありに休むな、甘えるな、怠けるな、みんな我慢して頑張っている、と言ってもらおうというものだったのだと思います。そして病院の精神科に行った結果は、適応障害という診断でした。調べてもよくわかりませんが、確か環境の変化にうまく適応できないために起こるストレス障害、みたいなものだったと思います。違ったらごめんなさい。病院で一応の診断がついたことと、先生から家族へのお話の結果、もべありはやっと家族公認で休むことができるようになりました。症状はまだ続いていますし、そもそも病院に行く、という行動がとても疲れました。これは個人的に思うことなのですが、症状が重い場合なかなか病院にすら行けません。病院不信もそうですし、どこかに出かけるのが困難だったり、まともに話せなかったりなどです。もべありはまだ何とか病院に行けましたし、拙いまでも症状を訴えることができたので適応障害という診断がつきました。それは幸運です。もっとひどかったらどうなっていたのでしょうか。あまり考えたくないです。

やっと休めるように、休む生活

  ここからやっと休む生活が始まります。長かったです。先述のような症状はまだ続いてます。休むためにはとにかく夜はしっかり寝よう、というのが結論です。今現在も夜はしっかり寝るようにしていて、ストレッチを15分くらいして21時にベッドに入るのが理想、という生活をしています。話を戻します。休む生活が始まったのですが、家族に少し何か言われるだけで酷く傷つき、怒り、ショックを受け2週間以上引きずって体調にも現れるというような過敏状態でした。神経過敏なのだと思いますが、表現的には神経が細くなったというような感じかもしれないです。また寝ようとすると胃がグルグルして嫌なことを思い出したり考えたりしてなかなか思うように寝付けませんでした。日中は部屋に引きこもって、またパソコンをつけてみたりして過ごしていましたが、まだ疲れやすくすぐに消さねばならず、できることがあまりないので散歩に行ったりするようになりました。

症状の変化

 始めのうちはなんとなく近所を歩いて回って思い出に浸っていたりしていました。そのうちに段々昔のことを思い出し、誰かがあそこで待っているような気がする、という気持ちになりました。詩的と言えば詩的なのですが、今にして思えばこれが妄想の初期症状でした。あの人があそこで待ってると思って足を向け、誰も待ってはいないことと思い出の中の風景と実際の風景の違いにショックを受ける、こんなことを繰り返すようになりました。この生活と睡眠の結果、頭の痛みは徐々に良くなり、眼精疲労の方も少しずつ良くなってきました。まだすぐ疲れてしまう状態ですが、良くなってはいました。しかし全身の痒みの方は違う症状へと変化してしまいました。またしても痛みです。現実には何も起こっていないのに、切られるような痛み、痒みが脚や腕をはじめ全身に現れるようになりました。発疹も見られたため、帯状疱疹ではないかと疑って病院へ行きましたが、どうにも違うらしいとのことでした。この痛みは幻覚の一種だと思います。これは散歩中も起こっていますし、家にいても起こります。始めのうちはそれこそ四六時中切られる感覚が走っていました。この痛みと妄想が徐々にリンクしてきて、徐々に統合失調症らしく?なっていきます。

妄想のエスカレートと幻の痛み

 散歩は続けていました。パソコンとかも少しできるようになってきたのですが、どうにも神経が疲れるので、やはり長くはできないのです。家族の勧めで資格のスクールに通ったりもしました。幻の痛みはかなりひどくて、切られるだけではなくいろんなバリエーションを持ち始め、しかも妄想とリンクしてきました。妄想の恐ろしいのは当人はいたって真面目に現実だと信じきっていることです。始めのうちは、例えば誰かが待っているような気がする、という程度で信じる程度も半分くらいでしたが、信じる割合が徐々に大きくなり、内容も変化していきました。夢を見ると、大抵の場合はその夢が荒唐無稽でも「そんなものなんだな」と疑うこともなく信じてしまっていると思います。これがまさに妄想の状態です。その世界ではそうなんだ、この世界ではこうなんだ、と疑うことなく信じてしまっているのです。例えば自分は超能力が使えるとか、こういう孤児がいて迎えに行かなくてはいけないとか、ゲームやアニメの人物が実際にいるとか、幻の痛みは自分に何か罪があるからだとか、あの人と自分は実は恋仲だとか、他に自分の帰る場所があるとか、いつか誰かが迎えに来て事態が好転するとか、自分は自分だけの世界を作れる(比喩でなしに)とか、現実にはいない人物たちと四六時中会話(実際に声に出すことは少なかったですが)してるとか、実はここは死後の世界だとか、気持ちの悪い妄想は色々ありました。妄想との会話から幻聴が始まり、幻のもやのようなものやアニメの絵のようなものが見える幻視も出てきていました。これらの幻覚はやっと休みはじめ、回復し始めてから現れたというのが特徴的だと思います。

 ここで少しもべありの思うことなのですが、ゲームやアニメが妄想などに悪い影響を与えることはありませんある状態になると、頭の中の色んな要素が絡み合って妄想の世界観を形成します。その構成要素はゲームやアニメだろうと、小説や映画だろうと、現実世界の物事だろうと、空想の産物だろうとおかまいなしです。どんな要素もある状態になれば妄想世界を構成してしまうので、特別ゲームやアニメが悪いということはありません。またフィクションが悪いということもありませんゲームやアニメなどを断っても自分の過去や家族、現実の事柄など何かしらの要素が代わりに妄想の材料になるだけです。

引っ越しと、収まらない妄想と痛み

妄想と痛みがひどくなる中、散歩に出たまま帰らないことが増えました。妄想上の何者かとの会話は本当に四六時中で、彼らの話から自分の罪の事や超能力の話、幻の痛みの正体などが出てきますが、それらは現実ではありません。もっとも、もベありは現実のことだと信じていました。妄想の内容は様々で日々移り変わります。その中で罰として痛みが何者かから送られてきたりします。毎日一回は冷や汗が出るようなひどく大きな痛みを感じていました。これらの妄想は当然一部にすぎませんが、それぞれが単独で現れるわけではなく、これらが複雑に絡み合ってある種の世界観のようになります。例えば宇宙をさまよったり、ファンタジー世界に居たりなどです。家族に関する妄想もありました。祖父の体が実は機械でできていて電気が走るような痛みを良かれと思って送ってきているとか、同じ人のようで実は毎日入れ替わっているとかです。世界観も日々変わりますので、同じ家族に会っているのに毎日違う人のように感じていました。多分ですが、頭の中に妄想が走っていても表面上は普通に見えたと思います。他人の家の敷地内に入ってしまったり、奇行はそれなりにありましたが、奇行をせずに黙っていると妄想の中にいることが周囲にはわからないと思います。家族も、まさかもべありがこんなことになっているとはすぐにはわからなかったでしょう。この頃、家族の方から父方の実家から母方の実家へ移ろうという提案があり、痛みと妄想の中にいたもべありにとっては得体が知れず断っていたのですが、散歩中勝手に入ったある病院で妄想の中、怖い経験をし、これは家族の提案通り母方の実家に移らないといけないのかなと妄想的に思い込んで急に行くことに決めました。頭痛や眼精疲労がある程度良くなっても、幻の痛みと妄想がひどくなっているわけですが、周りにはわからなかったせいかこの頃一旦病院通いをやめてしまっていました。

母方の実家での生活、しばらくしてようやく上向き始める

 この引っ越しの後、もう一度病院に通うことになりました。前に行っていたのとは違う病院です。まだ幻の痛みと妄想はありました。毎日酷い痛みと目まぐるしく変わる妄想の世界観の中にいます。ゲームの中にいたり、また宇宙をさまよっていたり、自分が介護されているという妄想もあり、頭の中で幻聴と共に誰かと会話していたり、何もない所にもややアニメの絵が見えたり、相変わらずです。散歩に行って行方不明になって警察のお世話になることもありました。ガンダムに出てくる戦艦に乗って宇宙に行こうとして家族に何やらわけのわからないことを延々と話したりもしました。新しく行った病院も妄想の世界に取り込まれ、何をされるかわからない恐怖の場所になっていました。実際に病院で行われた処置は診察と薬の処方です。適応障害の診断が出た時に薬は飲みたくないと断っていたので、この時まで薬は飲んでいませんでした。採血もしそうになりましたが、もべありはおびえきってなんとか断りました。散歩は禁止にされ、母のパソコンからリラックスできる音楽をかけつつゆっくり養生することになりました。当のもべありはよくわかっておらず、カンフーとかに凝っていました。もちろん妄想カンフーです。妄想は聞くだけなら何やら楽しそうに聞こえるかもしれませんが、現実世界と違って真実というものがなく安定していませんし、頻繁にいつどこが痛むかわからない幻の痛みが発生するので物騒で殺伐とした世界観になってしまいます。頭痛と眼精疲労はだいぶ良くなっていたと思いますが、疲れやすく体調もまだ悪く、精神状態も当然良くないので、楽しい妄想はあまりありません。ちょっと楽しいなと油断などするとすぐに強い幻の痛みが走ります。まだこんな状態だったもべありにはわかっていませんでしたが、何度かに分けて色んな薬が処方され、やっと良い薬に出会っていました。薬が良さそうだと判断してくれたのは母です。どういうわけか、もベありはそれを飲みました。なんで怖がらなかったのか、あるいはどう怖がっていたのかは忘れてしまいました。自分に合った薬の正しい服薬は統合失調症の治療では重要みたいです。そんな中、病院の先生の勧めでデイケアに通うことになりました。まだ症状はあります。こんな状態でそんなところに行って大丈夫なのでしょうか。今のもべありはそんなことを考えてしまいますが、デイケアに通うようになってからようやく症状が改善していきます。

デイケアに通い始める

 デイケアとは、病院で行われている精神疾患を持つ患者に向けたリハビリテーションサービスのこと、だと思います。もべありが通っていた病院のデイケアでは、病院があるビルの同じフロアにある広い部屋を使っていました。平日の10時から16時まで行われています。そこには同じような精神の病気を持つ患者さんが通ってきていて、午前中は看護師や臨床心理士精神保健福祉士のスタッフさんや患者のみんなで協力してお昼ご飯を作り、午後は様々なレクリエーションや軽い運動などのプログラムで過ごします。夏祭りやクリスマスのプレゼント交換会などイベント事もありました。料金は自立支援というものを使って一割負担になり、一日800円前後です。もべありはまず週に一回通うことから始めました。

徐々に症状が落ち着いていく

 通い始めの頃は妄想も幻の痛みもまだかなりありましたが、ここには他人がいるので、自分の世界にこもってばかりもいられません。話しかけられたり、徐々に自分も話しかけてみたいと思うようになります。そうすると自然と妄想の世界から一歩踏み出して、現実世界を認識するようになる、のでしょうか。ここで重要なのが「自然と」という部分です。妄想の世界と現実の世界はくっきりはっきりと分かれていないので、一気に現実へ引き戻すというのは無理な話です。お昼ご飯を作るという作業も効果があったと思います。妄想の世界ですることといえば、世界観ごとに違うものですが超能力のようなものを使ったり、現実のものを使って妄想の何かに向けてサインを作ったり、妄想の世界で作用する仕掛けを作ったり、あるいは空想上の人物と話すなどです。しかし料理はどうでしょう。いくら妄想を膨らませても料理は出来上がりません。材料を切らないと、炒めないと、煮込まないとできあがりません。妄想の仕掛けなどとは違う、全く現実じみた行為です。妄想を一気に払拭するようなものではありませんが、現実の一端を体験、体感できるというのは効果があったのではないでしょうか。自分の妄想の共通点として、何かこれ一つをしたらすべてが上手くいってあとは安泰になる、そういう超能力や妄想の仕掛けやサインなどがありました。しかし現実は、料理はそうはいきません。何かこれをやったらすべてが上手くいく万能なことなんて、そうそうないんですよね。デイケアでの調理の手助けではそのことを常に感じさせてくれたような気がします。

 おそらく、もっとも重要だったのは生活リズムの確立です。この頃は今とは違い9時半くらいに寝てましたが、デイケアに通うようになってようやく健全な生活リズムが確立されました。それまでも休もうと決意していたので夜はしっかり寝ようとしていたし効果も上がっていたとは思うのですが、デイケアは良いきっかけになりました。

症状が落ち着き、緊張と痛みから徐々に解放される

  デイケアには大体3年ほど通っていました。週1日から通い始め、徐々に通所日数を増やしていきました。他人と接するのにはやはり緊張が伴いますし、それがストレスになることもあります。しかし過度な負荷にならない範囲でのちょっとしたコミュニケーションを通して、徐々に話ができるようになっていきました。

 もべありの感覚的には、統合失調症は体調の回復と新しい成長によって治っていく病気なのかなと思います。一度失った能力を取り戻すというより、もう一度成長し獲得していく、再成長していくことで良くなっていくような感じがします。

 デイケアに通うようになって、調理とプログラム、患者同士の交流などを少しずつ行って徐々に回復し、人間らしさを取り戻し、症状もわずかずつ落ち着いてきました。痛みが走る頻度、痛みの大きさが小さくなっていき、幻聴や妄想上の人物との会話も減っていき、幻視で見るものも薄くなっていきました。安定してきて、回復の調子が整っていき、ようやく心が休まるようになってきました。

そして現在へ

 現在、もべありの症状はだいぶ落ち着いていて、健常者と比べると疲れやすく、疲れがたまりすぎると症状が表れてくることはあると思われるものの、だいぶ安定して活動できるようになりました。今は就労に向け訓練を受けています。訓練ではありますが、実際の商売事業の中の事務補助や、館内の清掃業務、商品製造の一部を担う内容で、実践的な内容だと思います。就労といっても健常者に交じって同じ扱いで働けるかというと、正直無理はあると思います。まず体力が全く足りていません。すぐ疲れてしまいます。他にも問題はあるかもしれませんが、かなり難しいと思います。なので障害者枠での就労を目指しています。週20時間の就労が目標です。

 統合失調症は再発する可能性のある病気です。そして再発すると、治療で回復できる範囲がどんどん狭まっていくという恐ろしい傾向があるそうです。再発にだけは気を付けて、無理なく、体調には気を配ってのんびりやっていきます。

まとめ

 もべありの統合失調症の発症は過度な寝不足、疲労がきっかけであったように思います。始めの症状は頭痛、眼精疲労、思考力判断力の低下、言語能力の低下、五感からの情報処理能力の低下など疲労が原因と思われるものが多かった。休み始めてからも新しい症状が表れてきて、疲労が原因とみられる症状から、幻覚や妄想など統合失調症らしい症状に変化していった。幻聴、幻の痛み、幻視、常時妄想、妄想上の会話などです。妄想とは夢を夢だと気づかない状態に似ています。安定した生活リズム、それと自身に合った薬の正しい服薬、デイケアなどによる現実世界での適度な活動により症状が落ち着いていきました。

 

長々と書いてきましたが、大体こんなところです。